大学に3度通って気づいたこと ― 母語が思考をつくるという話
今日は、私がこれまで三度大学に通った話と、そこから気づいた「言語と思考」の関係について書いてみたいと思います。
一度目の大学 ― 英語への挫折
高校卒業後、私は好きだった英語を学べる、英文科に進学しました。
けれども、入学してすぐに挫折します。
周囲には、留学経験者や帰国子女など、英語が流暢な学生がたくさんいました。
その人たちの流暢に話す姿を見て、「これはかなわない」とすぐに英語は諦めました。
結果、大学では英語よりも、イギリス史やアメリカ史などを中心に学びました。
二度目の大学 ― 英語教師の資格
大学を卒業してからは普通に社会人を経験し、40代になってから通信制大学に編入しました。
目的は英語教師の資格取得です。
大学時代に資格を取ることもできましたが、当時から、「一度社会を経験してから教師になったほうがいいのではないか」という漠然とした考えはありました。
結果的に、その判断は間違ってはいませんでした。
なぜならば、私たちが大学生だった時と、今の英語教育や教育に関する学びは180度違ったものになっているからです。
これはまた別の機会にお話ししますね。
三度目の大学 ― 日本語教師の資格
そして数年前、私は日本語教師の資格を取得するべく、別の大学へ編入しました。
理由は、外国人の生徒が増えてきて、日本語を同時に教える必要があると感じたからです。
そして、日本語教師の勉強をしていて思いました。
「日本語とは、なんと難しい言語であるか?」ということを…。
英語や中国語は文法体系が比較的明確で、ルールとして説明しやすい部分がある。
もちろん本格的に教えることは簡単ではありませんが、構造は整理されていて、理解しやすい言語だと思います。
しかし日本語の「てにをは」を説明するのは本当に難しい。
普段は自然に使えていても、「なぜそうなるのか」を論理的に説明するのは容易ではありません。
普段、何気なく使っている私たちの日本語。
とても非常に複雑で繊細な言語だと、改めて実感させられました。
母語と思考の関係
外国人の学生を教える中で、もう一つ気づいたことがあります。
人は物事を考えるとき、基本的に母語で考えるということです。
つまり、言語の構造が、その人の思考の枠組みを形づくっているのではないかということです。
日本語は、曖昧さや含みを持たせる表現が多く、回りくどい言い方をすることもあります。
だからこそ、日本人の思考や表現も間接的になりやすいのかもしれません。
一方で、幼少期を海外で過ごした人の中には、より直接的でストレートな表現をする人もいます。
また、日本語と構造が近いとされる韓国語を話す人とは、どこか思考のリズムや感覚が似ていると感じることもあります。
言語は単なるコミュニケーションの道具ではなく、
その人の考え方や感じ方に深く結びついているのだと、三度大学に通って改めて実感しました。
伝えたいのは、
私たちは母語で世界を理解し、母語で思考し、その枠組みの中で生きている
ということです。
言語を学ぶことは、新しい言葉を覚えること以上に、
新しい「考え方の枠組み」を手に入れることなのかもしれません。
そしてそれは、自分自身を理解することにもつながっているのだと思います。


