本当に、幸せな生き方ができる国
マレーシアの街中を歩いていると、ふとあることに気づく。それは、日本とどことなく似ているということだ。
何が似ているかというと、日本もマレーシアも雇われ仕事をしている人が多いという点で、確かにどこの国でも雇われ仕事をしている人は多い。けれども、どれくらいの人が「自分で稼ぐこと」と「雇われて仕事をしていること」の違いを認識しているか。それはあくまで金銭面と言う事だけで、心の豊かさはまた別のところにあるのだが。
もともとマレー半島に中国籍やインド席の人々が流入してきたのは19世紀頃からと言われていて、錫(すず)の鉱山での労働やプランテーションの農場での労働者として移住してきたのが始まりだと言う。
そんな中でも移植の発展を遂げた都市がある。それがシンガポールだ。心、シンガポールは、リークアユの政策のもと、目覚ましい経済発展を遂げた。けれども、そんなシンガポールも少し今は労働者の環境に変化が生じていると言う。
シンガポールは経済発展や給料手順もものすごく高くなったけれども、それに乗じて、生活コストや家賃や教育費の高騰も目覚ましいと言う。
もう既に高年収で雇われ仕事をしている人すら生活が危うくなっている。そんな中で、まともに生活できている、今までと変わらないような生活をできているという人は、ほとんどが自分で事業を起こしている人か投資家だ。

そもそもシンガポールというのは元々工場での労働者が多い街だった。
中国に工場が移転する前は、シンガポールに日本の電気メーカーの工場なんかもたくさんあったけれど、人件費が高くなり、コストが高くなるにつれて、中国大陸やベトナム、近隣諸国への工場の移転が始まった。そして働く人自体も、高年収のワーカーしか残らなくなった。
そうしたシンガポールの人たちは、今、シンガポールの暮らしを捨てて、近隣諸国やマレーシアへ拠点を移したりしている。今やもう既に「ワーカー(労働者)のままでは苦しい事態が来ている」ということを、シンガポールの国民一人ひとりが痛感しているところなのではないだろうか。
けれども、マレーシアや日本はどうだろう。まだ労働者として働く上で賃金が保障されている。そういう点において、悪く言えば危機感がない。よく言えば、その給料で生活していける環境が残っているということだ。
どちらが良い悪いということではないけれど、人件費が上がり給料が上がるということは、人々の生活水準も上がり、家賃や物価も高騰していくということなのだろう。
日本はよく「世界で一番成功した社会主義国」と揶揄されるが、マレーシアもそれに近いものがあるかもしれない。そして今後、こうした国が世界中から羨ましがられるようなビザを出して、移住したい国の上位に上がってくる。そのように思う。
人々が皆、同じような水準で働きながら生活できるということは、社会的に機能するということでもある。

例えばシンガポールは、建設労働者の移民を国から追い出したりすると、建設労働者がいなくなって、結局建設がストップする。そういった事態も起こっていると聞く。
だからこそ、すべてにおいてバランスが必要であり、民主主義であっても、社会主義的な「労働者第一」の国というのは、それほど悪くないのかもしれないと、この旅で思った。


